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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ザ・シャーラタンズ(またはCharlatans )は、1960年代に活動したアメリカ合衆国のバンド、サイケデリック・ロック・バンドである。ボー・ブラメルズなどと最初期の「サンフランシスコ・ロック・シーン」を支えたバンドの一つ。1964年、カリフォルニア州サンフランシスコにて結成。サイケデリック・ロック・バンドの嚆矢とされる。1969年夏解散。メンバーにダン・ヒックスが在籍していた。 == 概要・来歴 == 1964年夏頃、サンフランシスコで演奏活動をしていたフォーク歌手仲間にジョージ・ハンター(ボーカル・オートハープ)はバンド結成を呼びかけ意気投合したリチャード・オルセン(ベース)、マイク・ヴィルヘルム(ギター)、マイク・ファーガソン(ピアノ)、サム・リンデ(ドラムス)の5人で結成した。程無くリンデからダン・ヒックスに代わった。音楽志向は結成の母体となった活動場所フォーククラブの状況でこのころ結成されたサンフランシスコの他バンドと同様にジャグ・バンド・ミュージック、ブルー・グラス、ブルース、カントリー、フォークにまつわるものを演奏し、ステージの演奏マナーから制服はこの初期には19世紀後半の欧州風軍人制服スタイルや、西部劇ガンマン風といった扮装で登場し活動していた。 1965年6月にネバダ州バージニアシティの「レッド・ドッグ・サロン en」で「ザ・レッド・ドッグ・エクスペリメンス(The Red Dog Experience)」と称し、アート、ファッション、音楽やパフォーマンスといった様々な展示や公演が行われた。前衛アートの紹介と発表会でそれはネイティブ・アメリカンの衣装や風習慣の展示、瞑想の体験指導やオーガスタス・オーズリー・スタンリー3世のLSD被験試飲といったものが行われた。この展示は約6週間開催されここでBGMの生伴奏を引き受けたシャーラタンズは、目新しい舞台演出のライトショーのなかで、展示された新奇な装飾にLSD使用者など観覧者を前に演奏した。環境は揃えられていたが意図的ではなく 偶然に「サイケデリックミュージック」はこの時に始まった。 〔Red Dog Saloon (Virginia City, Nevada)、Red Dog Experience、Owsley Stanley〕〔異説も存在する。〕 1965年9月頃サンフランシスコのローカル・レーベル、地元DJトム・ドナヒュー(en) によるオータム・レコード(en)のオーディションを受け、レコード・デビューのきっかけを得たがレーベルが倒産し流れてしまった。1966年にカーマスートラ・レコードと契約、しかし録音したバフィ・セント・マリー(en)のコダイン(Codeine en)がドラッグ・ソングとみなされアルバム制作の契約は解除、2曲のみ子会社のカップ・レコード(Kapp Record en)からシングルで発売された。 1967年ファーガソンが抜けパトリック・ゴガーティ(ピアノ)とテリー·ウィルソン(ドラムス)が加入しダン·ヒックスはリズム・ギターに転向する。しかし翌年にヒックスは自身のバンド結成に向け脱退、ゴガーティは解雇される。 1968年ダレル・デヴォ(ピアノ)が加入するが、ジョージ・ハンターと他メンバーの確執が表面化するなか、フィリップス・レコードと契約、1969年にアルバム発表したのち活動停止し、夏頃には再開したが程無く解散状態になった。〔The Charlatans(American band) en https://en.wikipedia.org/wiki/The_Charlatans_%28American_band%29〕 グローブ・プロパガンダ・デザイン社 Globe Propaganda design company (en) ジョージ·ハンターはザ・シャーラタンズの活動と平行してイラストレーター、ケント・ホリスター(en)が合名でグローブ・プロパガンダ・デザイン社を起した。イラスト・デザイン・ワークで彼らのアルバム「ザ・シャーラタンズ」、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの「ハッピー・トレイルス」やイッツ・ア・ビューティフル・デイの1stアルバムで岩に立つ帽子の少女など印象的なジャケットデザインを手がけ、地元サンフランシスコのクラブやディスコの公演告知ポスター制作を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザ・シャーラタンズ (U.S.バンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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